【すずめの戸締り】名作?傑作?新海誠監督の最新作の感想と考察【ネタバレあり】

2022.11.11に公開された「すずめの戸締り」。
「君の名は」や「天気の子」で一躍大ヒットを連発した新海誠監督の最新作です。
すでに大ヒット作になっており、そして内容もかなり高評価ようです。
今回はそんな「すずめの戸締り」を遅ればせながら見てきましたので、レビューと考察をしていきたいと思います。
ネタバレを含みますので、映画未試聴の方はご注意ください。

映画『すずめの戸締まり』公式サイト

感想

普通に面白かったです。正直「君の名は」はあまり好きではありませんし、「天気の子」は見ていません。ですが、あまり類を見ないような面白い設定、何よりすずめが愛媛~神戸~東京と旅をしていく場面の表現は素晴らしく、そこに住むひとたちの生活感、風景、街並みがとにかくキレイでした。

その土地に行ったことがある人にとっては、見覚えのある光景であり、知らない人にとっても既知感を覚えるような作りになっていたと思います。

設定に関してもありそうでない、地震というものをひきおこす「みみず」、それを抑える要石と「閉じ師」。東日本大震災南海トラフをいやがおうにも意識させるものと決してそれらを風化させてはいけないという思いは感じました。

君の名は。から続く映像描写の美しさは相変わらずで、実写と見間違う箇所も少なくありません。

ただ世間で言われているように大絶賛というわけではなく、見ていて気になるところもチラホラあり、それが大きすぎる箇所もありました。ひとまず今回は良かった所を具体的に挙げていこうと思います。


良かった所

タイトルの出方が素晴らしい

私がこの作品の中で最も鳥肌が立った場面は、最初のタイトルが表示されたシーンでした。物語における起承転結の起の場面。すずめが意図せず開放してしまった要石と扉からでてくるみみずによって発生してしまう大地震

出会ったばかりのソウタとともに協力して扉を締める。見ている観客も、これからすごい話が始まっていくんだと思わせておいてからの扉を締めるという描写!そして黒背景に白字タイトルというそのセンスたるや!

タイトル表示とは映画の序盤におけるとても重要な場面だと思いますが、この作品だけはタイトルだけで見る価値はあります。

 

 

絵のキレイさが異常

君の名は。からの系譜ですが、背景、人物、自然風景、街並み、どれをとっても一級品の映像。これぞ現代の劇場アニメの頂点だといわんばかりの作画でした。

ただ最近はTVや配信アニメのクオリティもかなり高く、鬼滅の刃BLEACH、呪術廻戦など劇場アニメと比べても遜色ないものもあふれているので、そこまで目新しさがないのも事実。

しかしながら、生活描写の表現は抜群に上手であると感じます。特に室内の描写やそこに暮らしている人々の描き方はすさまじくリアルであると言えるでしょう。

愛媛、神戸の旅の様子が良かった

すずめがダイジンを追って旅をする様子。すべての人がそうというわけではないけれど、家出中の少女を温かく迎え入れ、ごはんや止める場所を提供してくれる。その中で芽生える友情や愛情、何より人情を深く感じることができます。日本もまだまだ捨てたもんじゃないぞと思わせてくれる素晴らしい描写ばかりです。

そしてその道中や各所の風景はとても作り込まれており、念入りに取材や調査をしたのだなと感じました。今作を見た地元の人は自分の住んでいるところがでてきてうれしかったのではないでしょうか?

 

 

人々の記憶深くに刻み込まれている痛みから逃げていない

もちろん東日本大震災のことです。これまでの新海作品でも匂わせるものはありましたが、今回は明確に3.11と表記し、場所も東北でした。津波を思わせる光景、当事者ならば思い出したくもない感情が多くあったと思います。私自身、テレビで見ていて胸が痛くなったことを覚えています。

しかしそれも2011年のこともう11年も経過しているのです。当事者でなければ忘れかけていたその痛みを思い出させてくれます。決して風化させてはいけない出来事、そして阪神淡路大震災を思い出す神戸、南海トラフの恐れがある愛媛を描写することで、私たちの危機意識は再び高まっていくと思います。

 

この映画は何を言いたいのか?

私は映画を見終わったときにわかりませんでした。新海監督はこの映画を通して私たちに何を伝えたかったのだろう。

単純に3.11を風化させてはいけないというメッセージだけではないと思いました。

いまだにわかりませんが、もしかするとという場面はあります。

それは、神木くんが「ここ、こんなにキレイだったんだ」というセリフに対して、すずめが「ここが?」と返すシーンです。

これはまさに当事者と非当事者との違いを表しているのではないでしょうか?

東北は見事にあの大災害から復興した。いや、していないと思う人もいるでしょうが、傍から見ている人にとってはしている風に見えるのです。

そしてそれは神戸も同じ、また、これから壊れてしまうかもしれない南海の地方にも言えること。表現が難しいのですが、簡単に言えば、「これらの美しい風景を忘れてはいけない」といったところでしょうか?

薄っぺらく聞こえてしまうかもしれませんが、とても大事で難しいことです。廃墟というキーワードもそれらを彷彿させます。

負のエネルギーである「みみず」を抑えるためには、そこにいた人たちの当時を思うことが必要です。非当事者である私たちも、災害にあった人たちの当時を忘れてはいけないのです。そしていつ自分が当事者になるかもしれない現代で 今の風景を心に留めておくことも大事なのかもしれません。

 

 

最も気になるところをとりあえず一つだけ

これは私個人のとらえ方なのですが、物語の中に矛盾点やあり得ないような描写がでると、とたんにそれがノイズになってしまい物語が入ってこなくなってしまいます。

描写や設定がリアルに描かれれば描かれるほどそれが顕著になるのです。ぶっ飛んだ設定であれば別にいい気にならないのですが。

例えば、ただの女子高生のすずめが、とんでもない距離をずっと走っているとか、スマホの充電がもちすぎだとか、東京の真ん中でパルクールをするとかです。

電車に乗る猫よりも、女の子が空飛んでるほうがよっぽど事件では?と思ってしまいます。あれだけSNSの描写は出てくるのに、肝心の所はスルーしているのが違和感です。

逆にイスがコナンばりに観覧車の上を走ったり、すずめがミミズの上を走っている場面は特に気になりません。それだけ非日常かつファンタジー要素が強く、物語内の設定の方が強いからです。ジブリ作品などがいい例だと思います。

個人的にはすべての事象に説明は必要ないと思いますが、描写は必要だと思っています。それが匂わせるだけでもいいのです。情報の補完は観客がすればいい。

別のインタビューやパンフレットで後出しをして、「実はこう考えてました」とするのは少しずるいと思っています。

 

本当はもう少し気になるところがあるのですが、長くなりすぎるので、別記事にまとめたいと思いますので、よろしければそちらもご覧ください。

juunikokuki.hatenablog.com