十二国記【解説・考察】 丕緒の鳥①

 

 

本記事は十二国記丕緒の鳥」の解説・考察です。
ネタバレを多々含みますので、まだお読みでない方はお引き返しください。

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2013年に発売された十二国記シリーズの最新短編集。

この短編集は、従来のように王や麒麟等主要な人物はほとんど出てきません。

各国の民や官が中心人物となっているのです。

 

 

主要人物でなくてもそれぞれにストーリーはあります。それぞれが自分の仕事を全うしてく。その中での葛藤、国を思う気持ち。現実社会と似通っているところもあり、どこか読者に近いところも感じられます。

しかしながら少々漢字も多く、ファンタジーとは少し違うため、わかりにくいという方もおられるのではないでしょうか。かくいう私もその一人です。そこで今回からは、この短編集のまとめ解説、できれば考察もしていきたいと思います。

引用等も多いですが、ほとんど自分用にまとめているようなものなので、ご容赦ください。

 

 

丕緒の鳥

今回は丕緒の鳥です。作品舞台は慶国。長く続いた悪政により国土は荒れ果てている中、陽子が新王に登極する前後を描いています。

「希望」を信じて、男は覚悟する。慶国に新王が登極した。即位の礼で行われる「大射」とは、鳥に見立てた陶製の的を射る儀式。陶工である丕緒は、国の理想を表す任の重さに苦慮していた。希望を託した「鳥」は、果たして大空に羽ばたくのだろうか

 

登場人物

本編には全く出てこない人物も多く登場します。過去とあわせて主要登場人物をまとめていきます。

丕緒(ひしょ)
悧王即位の10年ほど後から、百数十年、5人の王に仕えている羅氏。その手腕から羅氏中の羅氏と周囲から賞賛されている。祖賢から受け継いだ「鵲は民を表す」という考えから、いつしか陶鵲に自分の思いを込めるようになり、景の民の苦しみを知ってもらおうと予王即位の大射の儀の際に、中に赤い玻璃を仕込み割れたときに血飛沫が飛ぶように見えるよう細工した陶鵲を誂えたのが予王が引きこもる遠因となった。

 

祖賢(そけん)
丕緒が最初に仕えた射鳥氏。温厚かつどこか無邪気な老爺。「射鳥氏の中の射鳥氏」と呼ばれたが、悧王豹変後、突然捕縛され処刑された。

 

蕭蘭(しょうらん)
丕緒の馴染みの羅人だった女性。凌雲山の下へ梨を投げ込んでいる姿を見て丕緒は彼女がこの国を見ていない、と思い込んでいたが、実は現実を直視し羅氏の真のあり方以外何も考えていなかった。予王の女性追放令を悠長に捉えていたが、行方不明になる。

 

青江(せいこう)
蕭蘭の弟子。丕緒の馴染みの羅人。陶鵲に関する蕭蘭のアイディアを丕緒に伝える。

 

達王(たつおう)
王が長く玉座にいたためしがない波乱の国とされる慶で、その昔、300年以上という長期間の治世を誇った名君。倒れた大多数の王の例に漏れず、治世の末期には民を何重にも苦しめたものの、そうなるまでは安定した善政を布いた。達王の死後、慶は君主に恵まれず、特に近年の3代はことごとく無能な女王達が続いて国が荒廃したため、慶には「達王を懐かしむ」という意味の懐達という言葉がある(男の王を懐かしむ、というニュアンスも含まれている)。水禺刀を作るなど、現在の慶に与えた影響も大きい。

 

悧王(りおう)
陽子の4代前の王、治世68年。在位60年ごろには暴君へと変節し、「臣下の他人への讒言にしか耳を貸さなくなり、官吏に対して辛く当たることが増えた」と言われた。事あるごとに官吏を試すようになり、無理難題を突きつけ、時には過度な忠誠の証を求めた。太子を何者かに暗殺されたのが豹変の理由だといわれている。

 

薄王(はくおう)
陽子の3代前の女王。治世16年。権に興味が無く、奢侈に走った。

 

比王(ひおう)
陽子の2代前の女王。治世23年。贅沢には興味を示さなかったが権力に執心し、自分の命令1つでどのようにも動く臣下を見て楽しんでいた。

 

予王(よおう)
陽子の前の景王。字は恩幸(おんこう)、思慮深く心優しい女性で、決して玉座に値しない人柄ではなかったが、繊細かつ気弱で、内気過ぎる性格であり、景気は初見から王に向かない人だと感じていた。景麒の美しさに惹かれて玉座を受け入れた。
即位直後は王としての務めを真面目に果たそうとしたが、官吏たちの頑強な抵抗に国事への自信を無くし、王宮の奥に引きこもる。一見冷淡な景麒の言動に傷つくこともあった。彼女の求めた幸せは自分自身の人の女性としての凡庸な幸せであり、民を幸せにする事を考えなかった。後に泰麒との交流がきっかけで不器用な優しさを見せた景麒に恋心を覚え、嫉妬のあまり国中の女性を追い出そうとして国を傾けた。結果景麒は失道し、彼を救うために自ら退位し、蓬山で崩御して6年の治世を終えた。泉陵に葬られ、堯天に祀られている。

 

 

用語

非常に難しい言葉、職業など、初めて読むとわかりにくいところも多くありますので、わかりやすくまとめていきます。

夏官(かかん)

軍事をつかさどる部署。 丕緒はここに属している。軍事を掌る。基本的に文官の集まりであり、司右と大僕だけが直接武官を登用している。夏官長=大司馬。

 

冬官(とうかん)

造作を掌る。ここで製作される呪を掛けられた武器を冬器(とうき)と呼び、妖魔を撃退する武器になり、唯一仙を傷つけることができる。

 

射鳥氏(せきちょうし)

射儀を企図する。

 

羅氏(らし)

射鳥氏の指示を受けて射儀の的にする陶鵲を羅人に発注し、製作を指揮する。射鳥氏の代わりに射儀の一切を取り仕切る事もある。国政とはほとんど関係が無い。

 

羅人(らじん)

陶鵲を作る専任の工匠。

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射儀(しゃぎ)
鳥に見立てた陶製の的である陶鵲(とうしゃく)を投げ上げ、これを射る儀式。夏官が執り行う。重要な儀の際に行われる『大射』と、宴席で催される『燕射』に分けられる。当初は本物の鵲(かささぎ)を的に使用していたが、殺生を忌む宰輔には到底その場に臨席できないため、いつの頃のどの国からかは分からないが宰輔は射儀に臨席する事はなくなり、的に鵲ではなく陶板を用いるようになり、射落とした陶鵲の数だけ鳥を王宮の庭に放すようになったらしい。なぜ農村でありふれた鳥である鵲を的にするのかの謂れは伝わっていない。ちなみに、鵲の鳴き声は喜びの前兆と言われている。

※豪華なクレー射撃みたいなイメージでいいと思います。

 

大射(たいしゃ)
即位式などの国家の重大な祭祀吉礼に際して催される射儀。宴席で催される燕射は単純に矢が当たった数を競って遊ぶという他愛ないものだが、大射はそれに比べて規模も違えば目的も違う。大射では、射損じることは不吉とされ、矢は必ず当たらねばならない。射手に技量が要求されることはもちろんだが、陶鵲のほうも当てやすいように作る。


陶鵲(とうしゃく)
射儀の的に使われる陶板。当初は陶製の円形や四角い板に、細かい意匠に囲まれた鵲が描かれた素朴な物だったが、滞空時間などの改良を加えていく内に次第に貴金属や宝石の象嵌が施されたりするなど手の込んだ造りになっていき、現在では必ずしも鳥や板状の形をしている訳ではなく、材質も陶製とは限らない。投鵲機から射出される。
大射に使用される物は単なる弓矢の的ではなく、それ自体が鑑賞に堪え、 さらには美しく複雑に飛び、射抜かれれば美しい音を立てて華やかに砕けるよう技巧の限りを尽くし、 果ては砕ける音を使って楽を奏でることまでがなされる。調律や重石をかねて香料を入れる事もする。

 

鵲(かささぎ)
陶鵲のデザインのもととなっている鳥。農村には普通にいる鳥であり、別段珍しいものではない。羽の付け根は白色できれいではあるが、もっと美しい鳥はほかにもいる。

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感想

技術屋の心を感じました(笑)。読者は丕緒に自分を重ねるのではないでしょうか。最初は尊敬する師と出会い、ただひたすらに陶鵲と追及し、仲間とともに作り上げていく。しかし国は沈む。百数十年生きた中で、悪王により師を失い、友を失い、情熱も失った。直接王や高官にあうことはできないけれども、陶鵲を通して思いを伝えようとすれども伝わらない、伝わっても響かない、理解されない。

 

慶の先王の詳細が語られた巻ともなりました。たしかに「懐達」という言葉が生まれるはずだと納得もできます。王に伝えたかったのは「責任」。民を背負っているのだと知ってほしかった。現場の声を理解できない上層部に一生懸命伝えようとする。。。思い当たる節がある人は多いかもしれません。

 

予王に意図は伝わっていたのは少し意外でした。やはり作中の言葉にもあった通り、民に近い人の方が伝わりやすいというのも皮肉なものです。陶鵲を見た予王は、逆に恐怖を感じてしまう。

主上はとても傷ついておられる」

景麒よ、、、ちょっとがっかりしたのは私だけでしょうか。

 

この国はダメだと憂い、陶鵲を作る気すら失くすも、仕事だからと行動を起こそうとする。行き詰まるものの、亡き同僚の思いを知り、それを実現するために「仕事」をしていく姿。徐々に丕緒は昔のような感じに戻っていっているのだろうなと感じます。

 

大射のシーン。この情景をどのように思い描くかがこの話の楽しいところです。今までで2度読みましたが、年を重ねると少し見方が変わっていることに気がつかされます。

 

その後の陽子との会話のシーン。ここで泣きそうになったのは私だけではないはずです。この時の陽子はまだ市街に降りる前です。王は思いを理解してくれた。蕭蘭のそして青江の思いを。

「できれば一人で見てみたかったな。鬱陶しい御簾など上げて、もっと小規模でいいから、私とーあなただけで」

 

この時、丕緒の頭に次々と湧き上がる新たな陶鵲のイメージ、アイデア。この時丕緒は真にこの国の未来を感じたのでしょう。私もいずれ見てみたいと思ってしまいます。「風の万里 黎明の空」での経験を通して王として成長した陽子、一人で見たいとは言ったものの、その横には祥瓊や鈴。信頼する仲間とともに美しい陶鵲を見つつ、国の行く末を思うシーンを見れるのはそう遠くないでしょう。